『もう一度君と踊りたい』を観た ①

 

「もう一度君と踊りたい」2/20 兵庫公演

昼夜合わせて2公演観劇した。

ちなみに私はTHE RAMPAGEの長谷川慎君推しで、今まで他のBOOK ACT公演は観たことないです。

 

※ネタバレあり、あくまで個人的な意見・解釈ですのでその点はご了承下さい。文章力無いのに無駄に長文です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず前提として私はこの物語の脚本家、鈴乃音もとい鈴木おさむ氏が苦手だ。

元々、鈴木おさむ氏にそこまで興味はなかったが八王子ゾンビーズを観てから違和感を持ち、その後色々な事が積み重なり苦手となってしまった。でも正直遠い世界のことのように感じていて、自分の推しと関わらなければいいなくらいに思っていた。

 

だからこの朗読劇には行くか悩んだ。物語も初演を観た方の感想を拝見し、仲間の死があるということを知り余計に悩んだ。悩みに悩んだ結果、応募したし実際に観劇しに行った。

鈴木おさむ氏にLDHと今後関わって欲しくないなら、お金を落とすべきではない、行動で事務所に分からせなくてはいけないという意見もとても良く分かる。

でも私は今回慎君の演技が見たい、5人の演技が見たい、この物語がどういうものか知りたいという気持ちが勝ってしまったため行ってきた。自分で行くと決めたことが罪に思えた時もあった。取り敢えず、自分が後悔しないようにと行動した。それぞれの判断で行っても、行かなくても、どちらでも正しいと思うようにした。そして、鈴木氏のことは一度忘れてこの作品に向き合ってみようとした。

 

 

 

 

で、結論から言うと観て良かった。

都合の良いオタクだなと思われても仕方ないが、それくらいにとても良かった。

鈴木氏の脚本が良かったというより、与えられたこの物語を演者5人が真摯に向き合い、解釈し、そのメッセージを受け止めて、こちらに伝えてくれたのが良かった。

鈴木氏に利用されてアーティストが可哀想という考えが今まで少なからず心の奥にあったが、その気持ちを捨てた。そんな気持ちで見ていたら、真剣にこの物語に向き合う5人に失礼だと本気で思った。

 

 

 

「もう一度君と踊りたい」のあらすじ

両親が離婚し、祖母の家に預けられた主人公『りんちゃん』(倫太郎)は小4のある日、プロのダンサーを目指す高3のタカシ兄ちゃんと出会う。一緒に踊るにつれダンスの楽しさを知り、のめり込んでいくりんちゃん。その後、タカシ兄ちゃんは高校卒業を機に上京。一緒にダンスをする人がいなくなったりんちゃんだが、小6の時に母親に連れられ上京。貧乏なため昼夜問わず働く母親と2人暮らしを始める。

ある日、ダンススクールで一番上手い『たーちゃん』(太一)と運命的に出会い、2人は親友となり、RINDAというダンスユニットを組む。中学に入り、新たに『シミー』『オガピー』『ゴッチん』という3人の仲間を加え、5人組となったRINDAは大会などで優勝し、いつしか5人はプロのダンサーを夢見る。ある日、りんちゃんは工事現場で働く疲れ果てている男性がかつてのタカシ兄ちゃんそっくりな事に気付き、もしかして踊るのをやめてしまったのか?と不安になり声をかけられなかった。そしてそれは自分は違う、絶対プロになるんだと夢への焦りを強くした。

大手プロダクションの"ワールドトリガー"が開催したオーディション大会にて優勝したRINDAは5人でプロ契約出来ると確信していた。だが、プロ契約を結べるのは5人ではなく、たーちゃんとシミーの2人だけと事務所に言われてしまう。2人は今度デビューするグループのダンサーメンバーとして選ばれ、他の3人はそのグループのバックダンサーなら仕事を振れるという内容だった。この事をきっかけに、他の4人と自分のRINDAへの思いが違っていることに気付いたりんちゃんは激怒し、絶望した。オガピーとゴッチんは別の道へ、たーちゃんとシミーはプロ契約を結ぶ事を決意し、最後にいつも踊っていた公園で5人で踊ろうとたーちゃんはりんちゃんを誘う。

だが、もうダンスをやめると決めたりんちゃんは約束の時間に公園に行かなかった。その間に、りんちゃんを迎えに行こうとしたたーちゃんは交通事故に遭い亡くなる。りんちゃんはその事実を知り、たーちゃんの遺体と対面した時に意識を失った。すると、りんちゃんの意識の中に、タカシ兄ちゃんが現れて、たーちゃんが死ぬ結末は変えられないが今日という日をもう一度繰り返すんだと告げに来る。目が覚めると、たーちゃんが亡くなる日の夕方。同じ日を繰り返している。りんちゃんは苦悩しながらもダンスが楽しかったきっかけを思い出し、RINDAの4人が待つ公園に向かう事を決意。同じくたーちゃんも死後にもう一度、人生最後の日を繰り返すことを告げられ、自分が死ぬことを知りながら人生最後の1日を全く同じように過ごして夜は公園でりんちゃんが来るのを待った。そして、りんちゃんは公園に現れ、5人でRINDA最後のダンスを踊る。

 

 

 

 

 

私はやっぱりアーティスト本人の人生の辛い部分を重ねるような物語の演出は苦手だ。

数年前にジャニーズの舞台でもそういったのを見て苦しくなったことがある。セクゾ佐藤勝利君が実際に父が亡くなった2ヶ月後に、舞台上のストーリー内で父が亡くなった告白、自分の名前をつけてくれた父の思いを語るシーンがあった。その時の勝利君を見ていて、こうやって本人の心をえぐってまでエンターテインメントに昇華する必要があるのか?と私まで辛くなった。でも、勝利君はジャニーさんのこの提案に悩んだが、父への花道として受け入れた旨をファンへ伝えてくれたので彼の気持ちにも賛同したかった。また同作品でキンプリ平野君の母子家庭設定も苦しかった。どうして本人の人生を切り売りさせるのかと。

 

だから今回の朗読劇もそうなるんじゃないかと不安だった。実際見てみて色んな設定が明らかに彼らに重ねられたもので、例えばプロ契約を結ぼうとするプロダクションはまさしくLDHがモデルだった。RINDAが最初にダンスの練習場所にしようとした新宿の安田生命ビル前は実際にダンサーの聖地であり、過去にデビュー前のEXILEメンバーもここで練習していたとよく話している。りんちゃんの母子家庭設定、小学生の時アーティストのライブに母親に連れて行かれたことがきっかけでダンススクールに入るたーちゃん。まさに初演キャストの玲於君と大樹君をなぞらえている。LDHからどう依頼されたかは知らないが、とにかくこうした当てがきの脚本はあまり好きにはなれない。今回の公演を見られて良かったと思ったし、他の人が演じたらどうなるんだろうと興味が湧いたが、もう出来るならば再演はしなくていいかなと思った。でも実際、別キャストで再演されたら観に行く可能性だってある。決意がすぐ揺らぐ、心の弱いオタクだ。

 

たーちゃんの死については、やはり翔太君を連想してしまうだろうなとは思った。直接的ではないが会場にいる誰しもが少なからず思い出す。でも思っていたものとは少し違った。

りんちゃんが言う不平等というのは夢が容易に叶わないという事以外に、たーちゃんの死にも当てはまり、いつ身近な大切な人が、自分が、死ぬか分からない。それ故に「結末は変えられなくても中身は変えられる」という、夢の中に出てきたタカシ兄ちゃんの言葉の通り、1日1日後悔のないように生きるべきだ、というメッセージが込められた物語だった。それってありきたりなメッセージなんじゃと思っていたが、自分はそうやって生きることが出来ているかとふと考えた時、違うなと分かった。

たーちゃんが亡くなる「今日」をもう一度繰り返すと知った時、行動を少し変えたことで自分のダンスの原動力に繋がる人達の新たな一面を知り、後悔のない様に生きようとRINDAの4人が待つ公園へ向かったりんちゃん。自分が死ぬ運命だと分かっていても、死ぬことを避けようとせず、1回目と全く同じように今日を繰り返したたーちゃん。相手が今日の結末を知っていることはお互いに知らないのでこの2人の行動がどちらか欠けていたら、5人で公園に集まって踊ることは出来なかった。

たーちゃんが死ぬという結末は変わらないけど、2人にはこうしたチャンスを与えられ後悔のないように生きた、ということになっている。私は最初、結末が変わらないなんて意味がないじゃないかと思った。でも今回のストーリーの様に、今日という日をもう一度繰り返すことは現実では起こり得ないからこそ、そこに至るまでの中身、後悔しないように常に生きる大切さを再認識させられた。そして、その中身によって結末の更に先の未来は変えられることも分かった。

 

メインの2人もだが、ファンタの3人はその事を実際に経験し誰よりも分かっている。そこを分かっていてこうして泣かせようとする鈴木氏が嫌いなのだが、メッセージとしては間違っていない。そして、5人の涙は作られたものではなく本当に美しいと感じた。昼夜で1日に2回観たが、昼はたーちゃんが死んでしまうことが分かってはいたけどかなりショックで、観た後もう一回これを観るのか、と苦しくなった。

でも、夜の2回目は落ち着いて見られたのか涙ぐむことは多々あったが不思議と昼よりも泣かなかった。最後の方はどうしても少し泣いてしまったが。自分の涙の量は減ったが、物語に集中出来たので、5人の感情がより強く感じ取れてとても良かった。5人の演技もより良くなっていた。少しの間、鈴木氏のことを頭から切り離し、物語を見つめたら大事なことが少し分かった気がした。

 

もう一度今日を繰り返すと分かった時に、たーちゃんが死んじゃう!よしすぐに公園に行こう、とりんちゃんがすぐに決意した訳ではない。自分にとってのダンスの原動力である3人にまつわる出来事に遭遇し、戸惑いながらも自分の中で徐々に考え直してから、自分自身がダンスを続ける為にも、公園に向かおうと決意した過程が描かれていたのは個人的に良かった。

自宅で目が覚めて、オガピーから宅急便で届くRINDAのTシャツを1回目では破り捨てコンビニで日本酒を買い自らを酒で潰した。2回目では破り捨てることをやめ、たーちゃんに昔見つけて貰ったナイキの靴を引っ張り出して、コンビニでは酒ではなくお茶を買った。こうした小さな行動の変化がりんちゃんを変えた。

そのまま外に出たりんちゃんは、たーちゃんは死ぬのに自分はなんで生きる?こんなの不平等だと嘆くが、スーパーで自分の為に働く白髪の増えた母親、女性アーティストのバックダンサーとして踊っているタカシ兄ちゃんを知り、不平等な中でも皆一歩ずつ歩んでいる、俺もこうならなきゃいけないと考えさせられた。そして、初めてたーちゃんと出会ったダンススクールを偶然通りかかり、自分のダンスを先生や生徒の子供達に褒められたことにより、たーちゃんにダンスを初めて褒められたことを思い出した。自分のダンスを必要としている人がいることを。結末は変えられないが中身は変えられる、後悔のないように生きる為には何をするべきなのか、りんちゃんはそこで気付く。

 

慎君は「この先も自分の人生に死ぬまで残ると思います。この作品に出会えたことを奇跡だと思っています。」と夜の終演後に言った。確かに奇跡だと思った。観るまで先入観に囚われて、不安だった。でも実際に見て、慎君の姿を見てこの言葉は嘘じゃないと思えた。5人の演技と想いがこの物語を大切なものにしてくれたんだと思う。賛否ある物語だとは思うが、私は出会えて良かった。

 

 

 

 

皆の演技や作中の登場人物についての感想等は次の記事に書いてます。